IDEAS BEHIND OMIYAGET.COM: シェアリング・エコノミーについて
僕がいつどうやってこのサイトのアイディアを思いついたのか、正確には覚えていないけど、最初の直接的な着想は間違い無く、2010年に出版された「シェア」という本から得たと思う。この本は、ここ5年ほどのアメリカのネットビジネス界での最大のバズワードの一つ「シェアリング・エコノミー」を初めてに世に広く紹介した本で、超乱暴に言えば、いかに大量生産・大量消費の時代がムリゲーになってきて、これからの時代は、物を所有することよりもそれが提供する価値にアクセスできることが重要になっていく、またそれに伴って、今までにはなかった、ネットを使って人と人をつなげるサービスが次々と生まれてきている、っていう話だ。行き過ぎた消費社会を皮肉る、映画「ファイト・クラブ」からの引用が超イカしてた。
We buy things we don’t need with money we don’t have to impress people we don’t like.
つまり、僕たちはローンやクレジットカードの、本当は持っていない金で、自分に本当に必要でもないモノを買っている。そしてそれは、自分たちが好きでもない連中の関心を引くためなんだ、と。確か、この後には、そのためにクソみたいな仕事にがんじがらめになっている、みたいなセリフもあったはずだ。全く、本当にその通りだ。多かれ少なかれ、僕たちは矛盾だらけの経済を回すため、矛盾だらけの理不尽な生活を送らされている。まあ、話すと長い上にグチっぽくなると思うのでその辺は別の機会に回そうと思う。僕がこの本で深く共感して、興奮を抑えられなかったのは、そこに示唆されていたネットのテクノロジーを基盤としたオプティミズムだ。資本主義は明らかに行き着くところまで来ていて、終焉に突入している。と同時に、欲望に弱い僕たちにとって、共産主義は現状ありえないチョイスだ。でも、所有することに重きをおかず、複数の人間がそこから得られる価値を共有する「シェア」の概念と、そこから生まれる新たなビジネスは、資本主義に理想主義的な人間性をうまくミックスして、アップデートしてくれるかもしれない。
僕らがmoneyに依存してしまうのは、これまで、Aを持っていてBを欲しい人と、Bを持っていてAが欲しい人を直接マッチングするのに時間がかかり、中間に何にでも交換できる引換券がないと、交換相手を探す間に持っている物が劣化してしまっていたからだ。「モモ」「はてしない物語(80年代のファンタジー映画「ネバーエンディングストーリー」の原作)」の原作者、ミヒャエル・エンデは、自然界のあらゆるものが時間とともに劣化していくのに、moneyだけは無限で、不滅であるという矛盾にこそ、経済の問題の根本があると考えた。お金は神としての特質を全て備えている、とエンデは言う。確かに、金に価値があるとみんなが信じ切ることで金に無限の価値が生まれる現在の経済は、本質的に宗教と見分けがつかない。「重要なポイントは、例えばパン屋でパンを買う購入代金としてのお金と株式取引所で扱われる資本としてのお金は2つの異なった種類のお金であるという認識です。(エンデの遺言)」じゃあ、人と人を直接つなげて、価値と価値を直接交換できたら?そんなアナーキーな考えがシェアリング・エコノミーの根底にはあるような気がする。
いや、実際それがどこまでうまく行くかは全く分からない。アメリカでもそろそろその熱狂が一段落して、シェアリングエコノミーのユートピア的な思想に疑問を持つ声も増えてきているようだ。それでも、去年辺りから日本でもようやく話題になり始めた民泊サービスAirbnb、スマホのGPSを利用して現在地と目的地を一般ドライバーの車に伝え、タクシーのように利用するuberなど、すでに数あるアメリカのネット企業の時価総額ランキング上位にくいこんできたシェア・サービス企業の大成功により、”Sharing economy goes mainstream (Financial Times)“「シェアリング・エコノミーが主流になりつつある」と言われている。ちなみにAirbnbの評価額は2015年9月15日時点でMariottホテルグループを超える255億ドル(約3兆円)、uberはさらにそのほぼ2倍の500億ドル(約6兆円)。半端ねー。
最近では、「シェア」の思想そのものよりも、シェアリング・エコノミーが可能とした、個々人が持つ余剰リソースを収入源として転化する仕組みとそのライフスタイルに話題が移行して、小規模なライブ(gig)をいくつもこなして収入を得るミュージシャンになぞらえた、gig economyという言葉がバズりつつあるようだ。たとえば、僕は去年Airbnbのコンファレンスに招待されサンフランシスコに行ったのだが、(上記「シェア」を読んですぐにAirbnbに登録した僕は、日本のAirbnbユーザでもかなりのアーリーアダプターで、縁あってAirbnb社員にも認知して貰っているおかげで、お声がかかった)その時に乗ったUberの運転手は、週末2日車を運転してお客さんを乗せるだけで、新車のローン分の稼ぎになると言っていた。「言ってみれば、余った時間に人のために運転することで、新車をただでもらっているようなものだよ」車好きの彼にとって、こんなにすばらしい仕組みはないそうだ。普段は、サンフランシスコのスタートアップで、プログラマーをしていると言っていた。偶然にもその日の講演で聞いたのは、今後10年のうちに一つの会社に所属して仕事をする人はますます減っていき、いくつもの仕事を掛け持ちするのが当たり前になるだろう、というハーバード大学の試算で、おかげで件のUberドライバーの言葉がますます印象に残った。その時はまだ、gig economyという言葉はなかったと思う。
「シェア」のどの部分に注目して、それをどう呼ぶかはさておいて、こういったスタートアップ企業が急速に社会の仕組みを変えているのが、アメリカの現在であることは間違い無いと思う。当然、そこには既存の仕組みとの軋轢がうまれてくる。日本でも、Airbnbが既存の旅館業と法的整備を巡って対立してたり、Uberが福岡でテスト運用を行おうとしたところ、行政からストップがかかったというニュースなど、聞いたことがある人も多いと思う。しかし、日本にいると感覚が分からないと思うが、すでにAirbnbやUberは、多くの先進国で当たり前に利用されるサービスとして定着している状況がある。Airbnbの基調講演でCEOのブライアン・チェスキーが語っていたように「もう、この流れは止められない」状態だ。なぜなら、過剰にモノがあふれている現代において「シェア」は間違い無く合理的な選択だからだ。そしてネットは、合理性を選択する。
「シェア」することが選ばれるもう一つの理由、個人的にはここがもっとも大きなファクターだと思っているのだけど、それは、そうすることが楽しいことだ。僕は自宅の一室をAirbnbで外国人観光客に貸し出して、毎月3ー4組のゲストを迎えているのだけど、海外旅行好きの人間にとって、自分が日本から出なくても、世界中の人たちが向こうからうちにやってきて、自分たちの街のことを教えて、よその国のことを聞いたり、一緒にお酒をのんで遊んでいればお金を貰えるなんて、ホント楽勝過ぎて申し訳ないぐらいだ。(よく聞かれることだけど、これまで嫌なゲストはただの一人もいなくて、みなそれぞれ素敵な人たちだ。中にはすごく仲良くなって、ある期間一緒に仕事をすることになった人や、僕の住む街が気に入って近所に引っ越して来てしまった人までいる)自分が海外旅行に行く時だって、ホテルを探すことはもうほとんどない。だって、ホテルに泊まってしまったら、Haight Ashbury(サンフランシスコの60-70年代フラワームーブメントの中心地)のドがつくヒッピーと一緒に、かつてJanis Joplinが歌を歌っていたという木の下でチルアウトしたり、かわいい台湾の女の子に、怪しげな裏通りのスゲーうまい屋台に連れて行って貰ったりすることはできない。結局人と人とが直接つながって、今までにはできなかった体験を生み出せることが、「シェア」することの最大の魅力だとハッキリ言える。
僕は、Omiyaget.com(あ、一応世界を狙っている笑 ので、仮称です)を、そんな新しい体験を可能にするサービスにしたいと思っている。ちょっと妄想癖があるので言い過ぎかもしれないけど、実は、うまく物事が運べばAirbnbやUberがやったように、世界の仕組みをちょっぴり変えられちゃうんじゃないかとすら思っていたりする。まぁ、それがどれだけ大変なことか、よく分かってないからこそ言えるんだけど。とにかく、今すでにこの時点で、こんなことを書いちゃったりしてる時点でオレは楽しくてしょうがないので、飽きずにこれを続けられれば他にも楽しんでくれる人もどんどん出てきちゃうんじゃないの?みたいなつもりでいます。やっぱ甘いかなー。まーガンバリウス。