DAY14-2:BARCELONA〜初フリーマーケット
たぶん読んでくれている人たちも同じこと感じてるかもなぁ、とひやひやしているのだけど、僕は出発前にやると言っていたことをほとんどやっていない。僕を直接知っている人は、「あぁ、かっきー(僕のあだ名です)らしいな」と笑って許してくれる、というか、そもそも僕に対する期待値がそんなに高くないので問題ない、と思うのですが、ところどころで配ってきたチラシ(DAY0:改めてomiyagetの説明)や、人づてにサイトのことを聞いてくれた人は、全然おみやげ写真アップされてないし(いや、instagramの方にアップしてるんですけど、ちょっと分かりにくかったかもしれないですね。)、値段もテキトーだし、一体こいつ何やってるの?って感じるかもしれない。
「君はこの先一体何をして行きたいんだ?」は僕がこれまでの人生で幾度となく聞かれてきたセリフだ。それを口にする人の何か咎めるようなトーンから、僕はそれを聞く度に気分を沈み込ませてきた。もうその言葉を思い出すだけで、どんな楽しみもみるみるとしぼんで行ってしまう僕のトラウマだ。僕はこういう「何かをしたい人生」の扉の門番たちに一度真剣に聞いてみたい「じゃぁ、あなたは自分の人生の何をどうしたくて、そんなクソくだらない質問を、そんなしみったれた顔で、大して興味もない相手に聞いて、その人の人生を惨めに感じさせようとしているんですか?」と。オレ、嫌な奴だなー。嫌な奴だよね、ホント。
でも、本当に申し訳ないけど、正直感じてしまう。「知るか!!」って。僕は、原因があって結果が起きるのではなく、(現在という)結果が起きた結果(過去という)原因が生まれていくと考える運命論者だ。そんなこと、考えてもしょうがない、どこまでも続く現在という瞬間に起きる選択肢をひたすら捌いていくのに精一杯で、この先のことなんて考えられない。それならせめて楽しくやっていこうよ。
僕がバルセロナのことが一発で気に入ったのは、そういう「今を生きる」感が半端なかったからに違いない。実は出発前には、バルセロナの印象はあまり良いものではなかった。僕のヨーロッパでの予定を知った何人かの友人が「バルセロナでは気をつけた方がいいよ」と、かなり真剣な顔をして忠告してくれたのだ。スリぐらいは予想していたけど、僕がかなりビビったのが、「首締め強盗」だ。なんでも、歩いている人の後ろから音もなく忍び寄って、いきなり首を絞めて気絶させた後、身ぐるみ剥ぎ取って放置するというのだ。友人がその被害を受けた、という僕の友人の話では、被害者はただ普通に街を歩いていたつもりが、次の瞬間気が付いた時はほとんど素っ裸で道ばたに倒れていたという。まるで因果関係が狂った世の中に突如放り出されたみたいな状況だ。街にいる人も、強盗がヤバイ奴らだと知っているから誰も相手にしてくれないと言う。これは怖い。
もう諦めた方がいいぐらいの遅れで空港に到着して、とにかく走ったタクシー乗り場で僕を待っていたのは、映画トランスポーターの主人公とネズミ男を足して2で割ったような風貌の、ちょっとうさん臭さのある陽気なバルセロナ人だった。映画の吹き替えだったら、絶対オレのことを「ダンナ」って呼んでると思う。たかがタクシーの運転手なのに、友人の話に震え上がっていた僕の目の前には、こいつを信じていいのか、信じてはいけないのか、ちょっとした分かれ道が現れた。なんだか調子のいい口調といい、少し怪しげなくせのある風貌といい、ここが修羅の国だったら一番信じてならないようなタイプだ。でも、まぁ普通に根がいい奴ではありそうなので、最悪オレを残忍な強盗団に引き渡しても、最後の最後で申し訳なくなってこっそりオレを逃がしてくれそうな感じではある。
僕の妄想をくだらないと思った人は、自分が未知の物事に対してどのような想像上の怖れを抱いているか、少し振り返って欲しい。僕だって、こんなのはくだらない妄想だと分かっている。でも「もしかしたら」、そんな妄想上の結果でも最悪の、最もつまらない想像を怖れ、どれだけのことを諦めてきたか。少なくとも僕は、そんなことが数多くあった。やってしまえば簡単にできることが、何かが不安でどうしてもできずにどれだけの時間を無駄にしたことか。
当たり前と言えば当たり前なんだけど、運転手のDani(聞いてもいないのに速攻で名乗って握手を求めてきた。しかも運転を始めてから。先にやっておけよ!なんとなく彼のテキトーな、微妙に信用ならないノリが伝わるだろうか。)も結局とてもいい人で、相変わらずのうさんくさい口調で道中いろいろ案内しながらフリーマーケットの会場まで僕たちを連れて行ってくれた。
僕たちがなんとか店開きできたのは、もう4時も過ぎて他の店のほとんどが今日これ以上の売り上げを諦めた様子を見せ始めたころだった。歩いているお客さん達も、もう見たいものはひととおり見て、残りの時間をぶらぶら散歩しながらのんびり過ごしているような感じだ。僕も、この日の成果は半分あきらめつつ、とにかくスーツケースの中身を広げてみることにした。
最初に僕の店に興味を示してくれたのは、周りで店を開いていた人たちだった。もう自分たちの店は暇になってしまっていたので、遅れてきた珍しい出展者にかまってくれるだけの余裕があったのだと思う。バルセロナでは注意するようにさんざん聞かされてきた僕にとって、彼らの親切さは本当に嬉しいサプライズだった。英語があまり通じないバルセロナに珍しく、僕のブースの周りにはしっかりした英語を話せる人たちがたまたま固まっていて、スペイン語の通訳を買って出てくれたのは特に助かった。時間がなくてただ単に商品をぶちまけただけの状態のスペースを見て、ちゃんと値札をつけた方がいいよ、と値札シールとペンまで貸してくれたり、少しずつ集まってきたお客さんにおそらく宣伝のようなことまでしてくれたり、何人もの人が僕の店を積極的に手伝ってくれるのを目にして、僕のバルセロナのイメージはすぐに180度ひっくり返った。
生命が生き延びるため、怖れは必要な感覚だ。でも、僕たちは想像上の怖れに耳を傾けすぎている気がする。今回のテロだって、テロに対する人々の反応だってそうだ。想像上の「悪」を怖れるあまり、世の中はトンチンカンな理由で人を傷つけ悲しませる。それだけで全てが解決するとは思わないけど、怖れるのをやめないと、どこにも進んでいくことなどできない。もちろん、Daniだって強盗団の手先ではなかったし、残り少ない時間に僕のフリーマーケットに集まってくれた人たち、陳列や通訳を手伝ってくれた周りの人たちだって、本当にいい人達だらけだった。僕はこんないい人たちを全員ひっくるめて悪人かのように怖れていた自分がちょっと恥ずかしかった。ちなみにバルセロナで流行っているという「首締め強盗」の話をしたら、そんなの聞いたことないと笑われた後、その友人は本当にアンラッキーだった、とすまなそうな顔をされた。
それにしても、僕はどこに行っても親切ないいいい人たちに出会う。僕がラッキーなだけで、世の中そんなに甘くないと人は言うかもしれない。少ないサンプルで断定するのは危険なのも十分承知している。それでも僕は、世の中で出会う99%の人はいい人で、残りの1%も何かしらの事情や僕とはまた違った信念のために、こちらから見て悪に見える行いをしているだけだと信じている。99%は大げさだとしても、人に良くあろうとしている人が圧倒的に大多数を占めている世の中で、少数の悪人を怖れて自分の扉を堅く閉ざしてしまうのはもったいないことだ。
他にも、僕がバルセロナで出会った「いい人」達がいる。facebookを通じて僕の大学時代の友人が紹介してくれた、バルセロナ在住のTomokoさんと、その夫のDavidだ。見ず知らずの僕と家族を彼らの自宅に泊めてくれただけでなく、バルセロナについて、またomiyaget.comのヒントになる様々なアドバイスを僕に授けてくれた。Casa Brutusのバルセロナ特集のコーディネイターも努めた二人の見識は確かで、そのおかげで僕のバルセロナ滞在が何倍も豊かになったことは間違い無い。本当になんとお礼を言っていいか分からないぐらいだ。
さて、話をフリーマーケットに戻そうと思う。途中から自転車で駆けつけてくれたTomokoさんの助けもあって、遅い時間からきちんと準備もできずに始めた出店ブースにしては、なかなかの盛況を見せたのではないかと思う。手伝ってくれていた隣の出展者も「スゴイ巻き返しだね」とまるで自分のことのように喜んでくれていた。次から次へ人が集まってきてくれて、日も暮れ始め誰もがフリーマーケットの本当の終わりを感じ始めるまでの2時間弱の間、息をつく間もなかったぐらいだ。本当はしっかり写真撮影をして現場をドキュメントしておきたかったのだけど、おかげで僕がとることのできた写真はこの記事にあるブレブレの写真しかない。
ただし、店の売り上げとしては、大惨敗だったと言わざるを得ないだろう。あまりにも忙しくて全くカウントできていなかったけど、おそらく50€売れたか売れなかったかぐらいではないだろうか。いや、もうちょっと売れたかな?どうだろう。いずれにせよ、出店費用の30€、それに商品の仕入れにかかった金額を考えると、全く採算が取れていない。まず一番の誤算は、高額商品が全く売れなかったことだ。一番きつかったのは、期待をかけていた着物が鳴かず飛ばずだったこと。これはちゃんとハンガーなどでディスプレーできなかった自分のせいでもあるのだけど、日本人の着物に対する相場観と、ヨーロッパ人のそれが全くかみ合っていないことが大きいと思う。僕が持ってきた着物は近所に住む裕福なご婦人にいただいたもので、彼女の「全く価値がないから」という言葉が謙遜にしか聞こえないほど見事なものもあったのだけど、5€そこらで様々な生地や古着が売られているマーケットでは、20€でも売れなかったかもしれない。着物は重いからできればここで数を減らしたかったし、ご婦人も売れなかったら捨ててきてしまってもいいぐらいに言っていたものの、この見事な着物を50€にもならない値段で売り飛ばしてしまうのは、日本人としてどうしても抵抗があって、せっかく興味をもってくれた何人もの人を断ってしまった。ちなみにバルセロナで見つけた和風生地を扱う店の日本人店主も、まったく同じことを言っていた。彼女の店では、ちゃんとした着物を扱うのがバカバカしくなって、いまではユザワヤなどで仕入れたプリント生地しか店においていないそうだ。彼女の名誉のために付け加えておくと、店のセレクションは目を見張るほどで、日本に同じ店があってもかなりの人気を博すのではないかと思う。
その日一番売れたのは、100均で買ってきた寿司キーホルダーと、地元のオタクショップで一山いくらで仕入れてきたポケモン指人形だ。寿司キーホルダーは、100円のものが2€になったのでなかなかの貢献度だったのだけど、いかんせん元が安いのでいくら売れてもたいした額にならなかった。またポケモン人形を欲しがるのはちいさな子どもが多く、お人好しの僕はついつい安くばらまいてしまったので、こちらもあまり売り上げにつながっていない。元が安いのでほとんど損はないけど、わざわざ日本から持ってきたことを考えると商売としては全く意味がない。この2トップが売り上げの大半を占めているぐらいなので、店としてはたかがしれている。逆に一番高額で売れた商品は、0.02ミリのサガミコンドーム(10€)。コレは結構いろんな人が興味津々だったので、結構売れるんじゃないかと思う。結局日本好きのお姉さんがちょっと恥ずかしそうに買って行った。彼女はたぶん全部で20€ぐらい買ってくれたのかな?店の商品をくまなく見て、興味ある商品はどんどん質問してくれたり、本当にありがたいお客さんだった。ああいうお客さんがあと5人いたら、この日の結果は全く違っていただろう。どうやって彼女のようなお客さんをマッチングするかは間違い無くサービスの鍵だ。
omiyaget.comでやりたいことは、違う国に住むお互いをしらない同じような趣味の人たちを結びつけることだ。たとえば料理が趣味の人だったら、海外の全く知らない料理を教えてくれて、しかもそれを作るのに必要な調味料を運んでやってきてくれる人がいたら、とても嬉しいと思う。日本のアニメや漫画が好きな人だったら、日本から来る観光客がまだそこで知られていない漫画を持ってきてその国にやってきてくれたら、もっと日本のことを好きになってくれるに違いない。ひょっとしたらその漫画の影響で、将来ものすごいコミック作品が生まれることだってあり得なくはないし、少なくとも新しい友情がどこかに生まれるはずだ。この日の売り上げとこの後も持ち歩かなければならない重い荷物のことを考えるとちょっと憂鬱になるけど、フリーマーケットでの楽しい出会いと経験は僕のイメージをポジティブに広げてくれた。自分で言うのも何だけど、僕がバルセロナの人たちに対して抱えていたバカげた妄想と比べれば、同じ妄想でもよっぽど前向きでいいと思う。つまらない妄想を怖れて何かをしないことを選択するぐらいなら、僕はくだらないけど楽しい妄想で何か新しいことを始めたい。一回やったくらいじゃ何ともならないのは当然で、むしろ宣伝もなしにこれだけの人が集まって、2時間の間日本の変わった商品をネタにワイワイと楽しくやれたのは、実はすごいことだと思う。この経験を29日のドイツのフリーマーケットに生かして、ちょっとは挽回したい。
特にお金の面ではいかんともしがたい大きな問題を抱えたままで、サイト実現の見込みはまだまだ全く薄いのが一層ハッキリしてしまったけど、ぼんやりと思い描いていたomiyaget.comの楽しさだけは、リアルに実感できた。次回があるとしたら、いや、絶対やろうと思っているのだけど、ぜひ誰かと一緒に旅してみて、この楽しさを一緒に感じてみれたらいいなと思う。でも、結構大変だからなぁ。楽しいと思ってくれるといいけど。なんとか、この苦労をちょっとは楽にする程度までの仕組みができたら最高なのだけど、誰か一緒に楽しみながら手伝ってくれる「いい人」はいないですか?僕は、そんな人を探すためにも、この旅をしている。もしちょっとでも興味を持って貰えたら、是非ご連絡を!今回は本当に実験なのでかなり雑なのだけど、いろいろ見えたこともあるので、次回はもう少しまともになるはずだと思う。