DAY14:PARIS to BARCELONA〜飛行機に遅刻して、同時多発テロについて考える

paris airport after terrorism

同時多発テロの影響で、空港が混乱していると聞いていた。出国に時間がかかるかもしれない。飛行機が遅れるかもしれない。今日はヨーロッパで初のフリーマーケットの日だ。1時間でも早く会場入りして、準備万端でおみやげ屋を始めたい。その願いも虚しく、僕はまたも空港のカフェでキーボードを打っている。僕が乗るはずだった飛行機は予定通り、僕をパリにおいてバルセロナへと飛んでいった。一つ分かったことがある。僕にはLCCは向かない。遅れても大抵の場合無償で次の便に乗せてくれる、大手の航空会社がいい

話せば長くなる。毎回同じことだ。僕はこんな重要な日ですら飛行機に乗り遅れた。テロの影響があろうとなかろうと、海外ではちょっとしたことで予定が大幅にずれていく。僕がフランスで滞在していたのは、セーヌ川、それもエッフェル塔の真下に停泊するハウスボートの船長室だ。ここもまた、素晴らしい「home」だった。−−−話をはしょったくせに、突然違うことを話し始めて申し訳ないのだけど、Airbnbで泊まることのできる物件を、なんと呼ぶべきなのか、僕はいつも悩んでいた。ホスト間で話す時に良く使う言い回しは、Airbnb「リスティング」。なぜならAirbnbのホスト用管理画面の至る所に、「あなたのリスティング」という言い回しが使われているから。でも、これはゲストにはあまりピンとこないだろうし、Airbnb的な、人と人を結びつける暖かさが全く感じられない。皮肉なことに、僕がそんな人の温もりを感じる、おそらく公式な「リスティング」の呼び方を知ったのは、パリで開催されていたAirbnbの祭典、Airbnb Open最終日が、テロ警戒のためキャンセルとなったことを告げるメールだった。そこには、参加者が無事に自分の「Airbnb Home」に帰れたことを祈ります、というような一文があった。こんな時、地元に「home」があることは、どんなに心強いのだろう。もし僕がただのホテルの一室に泊まっていて、何かあったらただで滞在を延ばしていいよ、と言ってくれるHerveやVittoriaのような家族がいなかったら、どれだけ不安だったろう。ちなみに、Airbnbでは、パリで滞在先に困っている人たちのために、無料でhomeを解放するプログラムを実施している。もしも困っている人を知っていたら、教えてあげて欲しい。

話を元に戻そう。パリでの僕のhomeは、セーヌ川に浮かぶボートだった。昨日のポストの写真(DAY13:PARIS)に写っているのが、それだ。空港へ行くために呼んだUberのドライバーには、僕が車を呼んだ場所がメインの道路からちょっと外れた川の上にしか見えなかったことだろう。もし彼が地図をもっと拡大して注意深く場所を確認してくれたら、橋の道から入れる川沿いの側道に気が付いたはずだ。でも、そんなところに道があるはずがないという彼の先入観のせいだろう、なんど説明しても彼は僕のところに来てくれなかった。僕がちょっとでもフランス語を話せたら、彼がもう少し英語を話せたら全然違っただろう。彼も、僕も、言葉で自分の状況を伝えることができないのだ。これには困った。僕が英語でいろいろ説明して、彼が何かフランス語で返事をする。とにかく何かお互いに音声を交換してはいるのだけど、彼から全く伝わった感が伝わってこない。僕はもう、苦し紛れに、船の汽笛と船のエンジン音をまねした。その瞬間ようやく、僕たちの意思が明らかに疎通した。これまで彼の口から発せられたどんな音とも違う、深い洞穴から漏れてくるような「あぁ〜〜!」という僕にも理解できる言葉が聞こえた。

予定の時間から大幅に遅れて、Uberが到着した。笑顔が優しいとても感じのいい黒人の運転手が、暗くてよく分からなかったのだけどたぶんベンツで迎えに来てくれた。こんな車もUberをやっているんだ、と僕は意外に思ったけど、そのことについて彼から話を聞くことはできないだろう。それに、今彼に伝えなければいけないのは、空港まで後30分でつかないと、僕はバルセロナ行きの飛行機に乗り遅れてしまいそうだということだ。僕はできる限りの身振り手振りで、急いで欲しいということを伝えた。彼は分かった、という顔をした。と、僕は思った。

彼の高級車はスムースだった。カーステレオから流れるクラシックのようになめらかに、まだ暗い明け方の高速を滑っていった。でも、ちょっと優雅すぎないか?僕は彼にもっと急いで欲しかった。しかし彼の車や音楽の好みから見れるようなエレガントさをもって彼にそのことを伝えることは、僕にはできそうにない。せっかくここまで頑張ってやってきてくれた彼の気持ちを、声を荒げて害することはしたくない。僕は考えて、彼がアクセルを踏むたびに、最初は小声で「Yay!」とか「 Go!」とか言ってみたり、スピードが遅い時は様子を伺うように前のめりに、スピードが乗ってきたらリラックスした感じで椅子に深くもたれたりしてこちらの心理状態が分かりやすいようにしてみた。僕のジェスチャーと彼のリズムが次第にあってきて、安全が確実な時はかなりスピードを出して距離を稼いでくれるようになった。彼がBGMのチャンネルをクラシックから少しアップテンポなポップスに変更して、ちょっと得意気にミラーを覗いてきた時、僕は自分のやったことにかなり深く満足した。言葉しゃべれなくてもちゃんと伝えられるじゃん。僕たちは、まるで違う群れから来た二匹の動物だ。始めはぎこちなかったけど、それ自体は全く意味を持たない鳴き声にも似た音や、表情とアイコンタクト、ボディランゲージだけで、文化や言葉の違いを乗り越えて同じゴールを気持ちよく共有することに成功したのだ。

たまに、言葉って本当に不要だなぁ、って思う時がある。例えば僕がアメリカに留学していた時の仲間に、英語がそこまで上手ではないのにすぐに誰とでも仲良くなって、人の輪に入るだけであっという間に人気者になってしまう日本人がいた。僕も彼のおかげで友達が増え、ずいぶんと楽しい経験をさせて貰った。彼がすごいのは、言葉が通じないのをものともせずに、何のためらいもなく他人に近づいていって、あたかもそれが当たり前であるかのように少しヘンテコな英語で話しかけてしまうのだ。そして、楽しい時には心から楽しそうに笑い、嫌な時は難しい表情をして、自分の感情をかなり無防備にさらけ出してしまう。最初のうちは、こんなことができるのは、空手の達人でもある彼が、相手との間合いを読む特殊技能を持っているからだと思っていた。

でも、彼の紹介でいろいろなパーティーに参加するようになって分かったのは、彼があまり言葉の上でコンセプトの合意を導き出すことに執着していなくて、違った人間同士がある同じ感情を共有することだけしか意に介していないということだ。そのために、彼は、よく人のことを観察していたのだと思う。彼が人と通じあえていたのは、相手がどういう感情でいるか、言葉の説明に頼らず自分の五感で感じ取ろうとしていたからだと思う。

僕は、どんな動物にも、もちろん人間にも相手の感情を感じとる能力が備わっているのではないかと思う。人間が他の動物と違うのは、言葉でコミュニケーションを取ることで社会を作ることだというような説明を聞くことがあるけど、これは多分間違いだ。おそらく全ての動物はなんらかの形で社会性をもっているし、お互いにちゃんと通じあうための言語を持っている。でなければ、この厳しい世界で生き残り、他者と共存して繁栄することなど不可能なはずだ。

人間の言語が他の動物の言語と違うところは、「そうであるもの」と「そうでないもの」を明確に区別して、お互いの理解レベルがどの程度までたどり着いているか確認するための機能が備わっていることではないかと思う。それが描く境界線が、人間が考える社会だし、また宗教であると思う。再帰的に作り出されたその内側では無条件に安心していられる一方、時にその外部に対する無理解と恐怖を産み出す。どれだけ言葉でそれを伝えようとしても、言葉が真実を積分して外部との境界を明確にするためのものである以上、どこまで行ってもそれは相互の完全な理解にはたどりつかない。言葉のもどかしさの本質は、ここにあるように思う。多分言葉は、伝えるためのものではない。言葉は、確認するためのものなのだ。それは内部を産み出すために、副作用として外部を作り出す。

本当は、愛も、憎しみも、喜びも、悲しみも、あらゆる欲求も、僕達が誰かに伝えたいことはどれも動物なみにプリミティブで、愚かで、美しいはずだ。そして、本当はどんな生物だって、出来れば憎しみよりも愛を、悲しみよりも喜びを選ぶはずだ。それが信じられないとしたら、それは僕たちが差異を明確化することで、自分が外部に押し出されないための囲いを作るからだ。自分が信じている価値を確認するために、それを信じていない外部を自ら創造するからだ。

バカかもしれないけど、僕はやはり無条件に人を信じていたい。このような悲しい出来事だって、誰かが誰かに何かを伝えずにいられないから起きた出来事なのだ。目の前に存在するある一部を切り取って、その周辺にどれだけ言葉のバリアを張り巡らせても、このままでは僕らは絶対に安心することも、納得することもできない。一度でいいから言葉の檻の外側に出て、世界を赤ん坊の目で見直さなければならない。言葉の通じない世界で、誰かに何かを伝える経験をしてみないといけない。それは、出来れば歓びであって欲しい。その方がずっと簡単だから。

なんてことを考えたんですよ。軽快に高速をとばして、空港までギリギリ30分ちょいで僕達を無事に届けた後、何かを人と共同で成し遂げたスゲー満足気な、むっちゃいい笑顔を残して去っていったドライバーを見て。

でも何故か彼、到着ロビーに車を停めていて、結局飛行機に間に合わなかったんですけどね。おかげで、なんだか重要なことを考えることが出来た気がするので、なんか満足です。ありがとうMickael。